
自己の保身のために悪に手を貸すか、それとも正義のために行動するか。
平和なときであれば保身のために悪に手を貸すことはもちろん非難されることだろうし、正義のために行動を起こすことは正しい行いだ。
しかしこれが自身の命がかかわっている場合にはまったく逆になる事もある。
特にそれが第二次世界大戦中のドイツで、強制収容所入っているユダヤ人の場合は正義などと言っていられない。
敵国の贋札を作り経済を混乱させるという戦争のなかで編み出された一つの作戦。
しかし、そんな非合法の作戦ではドイツが戦争に勝っても負けても自分たちの命は無いであろうと考えたとき、命を懸けたサポタージュが選択肢として浮かんだのだと思う。
2008年5月19日、蠍座
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この国を挙げての贋札作りは指揮官の名前を取りベルンハルト作戦と呼ばれたが、この作戦に優良民族たるゲルマン民族を作業させなかったほど、この作戦はナチスにとっても相当に後ろめたいものだったのだろう。
いくら強制収容所で死と隣り合わせの生活を送っているユダヤ人でもサポタージュの可能性はあるわけだし、自国の勝利のための作戦ならば多少の罪悪感をおぼえてもドイツ人は従うだろう。そうまでしてもユダヤ人に作らせたのは証拠隠滅のため、最後には殺してしまう算段だったからと考えられる。
そう考えると終戦の間際にドイツ軍が作戦に従事したユダヤ人の殺害より、印刷機器を優先して処分したことはアドルフ・ブルガー氏らにとってとんでもない幸運だった。
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