社会ドラマ的展開の東のエデン劇場版-Ⅱ

東のエデン劇場版-Ⅱは、前作がテンポよく物語が展開したのとは違い、シリアスな社会ドラマ的展開となった。ネタバレあり。
たった100億円で日本を変える方法などそう簡単にあるわけはないが、滝沢と物部は自身の思うところにより行動しており、その方法論の対立が社会ドラマ風に描かれ、前作とはがらりと変わった展開になっている。
当初は、官僚のネットワークとジュイスの力を利用していた物部が滝沢の一歩先を行っていたが、滝沢も板津がノブレス携帯のセキュリティを破ったことにより、各セレソンの100億円の使用履歴から、先手を打てるようになり、物部と滝沢の頭脳戦の様相を呈してきた。
それにしてもTV版東のエデンとはずいぶんと雰囲気が変わり、ある意味まじめなドラマとなってきた。お笑い芸人の出てくる下手なドラマよりよっぽどまともだ。
東のエデンの根底にあるものは、ニートの持つ潜在的能力をいかに引き出すか?というものではないかと思う。
映画で描かれているニートは、決して自立していないわけではなく、親のすねかじりでもない。
確かに個々人で捉えれば何もできないかもしれないが、全体がまとまれば、迂闊な月曜日においては滝沢のもとでミサイル攻撃からの避難誘導に活躍しているし、その後のミサイル攻撃でも被害の防止に重要な役目を果たした。ニートが集まれば無力な烏合の衆ではなくなるのだ。
ただ、そのためにはリーダーが必要となる。そのリーダーが滝沢朗というわけだ。
今回の第2話では、世直しを目指す官僚の物部と、ニートの潜在力に賭ける滝沢との対決が描かれているが、お互いアプローチは異なるが今の日本を何とかしようという、いたってまじめな政治問題として扱っているところが非常に新鮮だった。
だが、結局のところ政治を動かすためには、革命でも起こさない限り今の日本では選挙を通じて自分の意見を代弁してくれる代表者を選ぶしか方法がない。
だとすると、現在のニートたちはその手段を全く放棄してしまっており、すでに権力を持っている側の者たちに好きなようにされている事に気付いていない。
深読みすれば、それをなんとか打ち破るために、少しでもその事に気付かせるために神山監督はこの作品を作ったのではないかと思う。
だが皮肉な事に、セレソンを選び、ジュイスというA.I.を各人に与えたのは老人であるミスターアウトサイドだった。
このあたりは、ニートを動かすためには外部の力を借りないといけないという現実を反映しているのではないかと思った。
しかし滝沢が行った小さなテロは、何らかの革命の引き金を引いたのではないかと感ずる。多分続編は作られないと思うが、その後の変化を見てみたいと思った。
2010年3月24日(水):札幌劇場スクリーン1




