ダークナイト:絶対悪に立ち向かうには正義だけでは足りない

かなり遅れたがダークナイトを見た。この先ネタバレあり、ご注意ください。
バットマンシリーズは一番最初のバットマン以来だ。
この新しいシリーズの前作バットマンビギンズは見ていないのだが、前シリーズのバットマンのような娯楽的演出はほとんど無く、人間の内面に迫るすばらしい演出だ。
笑いを取るようなシーンはほとんど無く、ヒース・レジャー演ずるジョーカーの狂気がすざましい実態感を持って迫ってくる。まさに狂犬、悪の権化とも言うべき存在だ。
対するバットマンはジョーカーとは正反対で、ゴッサムシティーの平和のためには、自身が悪と思われようがかまわないという強い信念で行動する。
しかし、状況は正義の側には不利に展開する。正義を信ずるものは多いがその行動はなかなか成果を上げることができず、悪を行うものははるかに簡単に目的を達成する。
正義を行う側の限界はまさに正義で悪を撲滅しようとするところにあるようだ。
本来街に平和をもたらしそれを維持するための警察機構は強大な悪の力の前にはほとんど無力だ。正義を行う側は常に資金不足であり、頼れるのは己の信念のみ。だが悪に屈しないほどの強い信念を持って行動出来るのはごく一部しかいない。
一人果敢に正義を行うゲイリー・オールドマン演ずるゴードン警部はそういうごく稀な人間だ。
だが、他の多くの人達はそこまでの信念を持ち合わせていない。そこにジョーカーの付け入る隙が生まれ、デント検事を復讐の鬼に変貌させ、いかに簡単に人間は悪の側に付く事ができるかを簡単に証明してしまう。
巨悪を撲滅するためには正義を振りかざすのみでは対抗出来ない限界がある。だからその限界を超えて巨悪に立ち向かうためには、自身も悪の一部を取り込まなければならない。より強大な悪を倒すためにはそのようなバットマンの存在が必要となる。
2008年9月8日(月):ユナイテッド・シネマ札幌10番スクリーン
暗黒の騎士を支えるもの
バットマンは多くの人達の弱みとなる金銭には不自由していない。
ゴードン警部の部下でさえそれが原因で正義に対する信念を見失い、悪に加担してしまう。
その点バットマンは自身の信念に迷う事無く行動することができるが、同じ信念を持ち共に行動出来る人間は数少ない。多くの場合バットマンは孤独で単独行動だ。
それでも彼は人を信ずる事をあきらめてはいない。
ジョーカーがそんなバットマンを試すように、一般人と囚人が乗った二隻の船にお互いの船を爆破出来る起爆装置を預けて人の心をもてあそんでいる時でも、彼は人の心を信じジョーカーと対決した。
この人の中にあるであろう正義を信ずる心こそが、暗黒の騎士たるバットマンを内面から支え、その行動のエネルギーの源になっている。
映画ダークナイトは今までのヒーロー映画にありがちな薄っぺらな正義感ではなく、人間の持つ悪と善の両面をしっかりと描いたすばらしい映画だ。
久しぶりにアメリカ映画の底力を垣間見た気がした。




