ミラクル7号がもたらしたものは何か

チャウ・シンチー監督のミラクル7号
最近どうも重たいテーマの作品ばかりを見ていたので、見終わったあと暗い表情で馴染みの居酒屋でちびちびやっていると『たまには楽しい映画でも見たら』と言われてしまった。
そういう訳でもないが、以前から気になっていたチャウ・シンチー監督最新作『ミラクル7号』を見てきた。
役柄としてみると今回のチャウ・シンチーは今までのカンフー路線と違って、貧乏・バカ正直という面は残しつつ、子供の将来を気にかける真っ当な父親役だ。貧乏であるから仕方ないとしても、おもちゃ売り場で駄々をこねる子供に対してはしっかりとした態度で接している。日本では最近めったに見なくなった、まともな子育てを実践している良き父親だ。
一方その子供のディッキー(シュー・チャオ)は父親の期待を一身に背負って身分不相応な小学校に通っているが、ひねくれてはいないがどうも学業はぱっとしない。どう見てもこのままでは父親の期待には応えられそうも無い。
どうにもならない絶望的環境が親子の関係をかろうじてつなぎ止めているようだ。
そんな厳しい現実の中で、密かに?地球に飛来していたUFOの置き土産とでも呼ぶべき謎の生物がミラクル7号だ。このミラクル7号が、抜け出すことの出来ない貧乏がかろうじてつなぎ止めていた親子の絆を本当の絆に変えるのがこの映画の主題だ。
2008年7月14日(月):ユナイテッド・シネマ札幌1番スクリーン
チャウ・シンチー映画に共通する都会の貧困とそれを打ち破る人の力
今までに少林サッカー、カンフーハッスル
と見てきたが、チャウ・シンチー監督作品は常に貧困が付きまとう。それも都会の中の貧困だ。
農村ではないのでお金がなければ日々の糧にも不自由する。出稼ぎという選択肢も無く、農村以上に抜け出すことが困難な状況だ。
そんな中でもチャウ・シンチーの役柄は決して腐ったり、あきらめたりはしない。それはこのミラクル7号でも共通している。
しかし、今回はその状況を子供の目線から描いている。
子供は残酷だ。大人のように感情を抑え理性で接することはしない。自分より弱いと見るとそれは即いじめにつながる。これは洋の東西を問わず全世界共通の出来事だ。
金持ちが貧乏をいじめる。力の強い者が弱い者いじめをする。ディッキーの通う名門校でもそれは起きる。
そんな中でミラクル7号がもたらしたちょっとした変化が子供たちを劇的に変化させる。ミラクル7号が直接的に何かを引き起こした訳ではないところがこの映画の良いところだ。私には子供たち自身が自らを成長させたように見えた。
ミラクル7号を巡る争奪戦の末に皆が和解したのも、ディッキーがテストで合格点をとったのもミラクル7号の助けがあった訳ではないのだ。
ここのところがスピルバーグのETとは決定的に違うところだろう。子供たちの成長にミラクル7号はあくまで間接的役目しか負っていない。
結局ミラクル7号の真の能力は、当事者たちは誰も知らないのだ。
だからミラクル7号が能力の使い過ぎでその役目を終えた時も、ディッキー親子は嘆き悲しむこと無く、前へと進むことができたのだ。
チャウ・シンチー監督の思惑はどうあれ、まっとうに生きている人達はお天道様がしっかり見ているよと言っているようである。久しぶりに何のへりくつも無く素直にほろ苦い感動をもらった映画だ。
最後にミラクル7号であるが、その能力については深く触れないが、SF的にまじめに想像すれば究極の癒しロボットとでも言ったら良いだろう。ついでに時空を超える通信能力も内蔵されているに違いない。おそらくは知的生命体を調査することが真の目的かもしれない。




