青年ゲバラのロードムービー、モーターサイクル・ダイアリーズ

青年ゲバラのロードムービー:モーターサイクル・ダイアリーズ
今年はゲバラ生誕80周年である。
月刊プレーボーイ誌にも特集が組まれている。
だがこの映画モーターサイクル・ダイアリーズに関して言えば主人公がゲバラである事を意識せずとも十分楽しめる非現代的ロードムービーだ。とはいえそれを意識しないで見る事は出来ないし、ゲバラでなければ映画にならなかった事は確かだ。
ゲバラが主人公である事をひとまず脇に置いておくとして、23歳のインテリ医学生が今から50年以上前の1951年から52年にかけて南米を友人とバイクにまたがり放浪するという事自体にまず驚かされる。
そこには今とは比較にならないほどの危険が潜んでいる。案の定移動手段のバイクは(しかも中古)は壊れ、ヒッチハイクと徒歩による移動に頼らざるを得なくなる。
それでも彼らには旅に対する情熱を失わない。近年の破滅的ロードムービーと比べてもとってもワイルドで健康的だ。
NHK-BS 衛星映画劇場録画
外の世界を知りたいという強烈な願望
この23歳のインテリ医学生はこれ以前にも無謀な旅をしている。前の年に自転車に毛の生えたようなモペッドで北部アルゼンチンを単独で4,000マイル(6,400km以上)旅しているのだ。
だが何が彼をそこまでして旅に駆り立てるのであろうか。
世界遺産に登録されているマチュ・ピチュを訪れるシーンがあるが、いまでこそいろんなメディアで紹介されているが、おそらく当時はテレビも無く(日本の放送開始が1953年、アルゼンチンは?)どのようなもであるかは文献に頼るか現地に行くかしないと見る事さえ出来なかったであろう。
映画の冒頭に旅の目的は本でしか知らない南米大陸を体験すること
とある。
マチュ・ピチュは旅の行程の中でも中間付近であるので、それまでに様々な体験を経験している。
バイクでのアンデス山脈越え、旅の中での相棒のグラナードとの仲違い、医者と見込まれての急な往診、チュキカマタ銅山へ行く途中のアタカマ砂漠で出会った共産主義者の放浪夫婦。
ここでの相棒のグラナードが放浪夫婦の身の上話を聞いたときの自分たちの境遇とのあまりの違いに一瞬見せた絶望的な表情が印象的だ。
そしてペルーに入りインディオとの出会い。ここまでの行程でインテリ医学生の中に後に発芽する社会的使命の種が植えられたようだ。
そしてインカ帝国の遺跡マチュ・ピチュにやってくる。ここでグラナードから一種の無血インディオ革命の話が出てくるがゲバラはあっさりと武力闘争なしではありえないよ
と一蹴する。しかしそれまでの旅で経験してきた事からゲバラ自身の中で革命的思想が徐々に根を張りだしたように思える。
彼らにとっての実質的な旅の目的本でしか知らない南米大陸を体験すること
はマチュ・ピチュを過ぎたあたりでほぼ達したようだ。
外の世界を知りたいという強烈な願望はこの時点で満たされたように思える。
映画では明確に表現されていないが、もうゲバラにとってこれから先の行程は旅の別な段階に入ったようだ。
医者から革命家へ
ゲバラにとって医者としての旅の目的地である、アマゾンにあるサン・パブロ・ハンセン病療養所で経験した尼僧の宗教的差別と、劣悪な環境に置かれた患者を目の当たりにした事で、彼の中で何かが決定的に変わってしまったようだ。
ゲバラはこの療養所には2週間ほどしか滞在していないが、そこでの体験がついに革命家としての小さな芽を芽生えさせたようだ。
その事は長旅で偶然その地で迎えることになった6月14日の24歳の誕生日での返礼のスピーチに表れている。
誕生パーティーのお礼にごく普通の返礼を期待していた療養所の職員に向かって初めて革命的なスピーチをしたのだ。
南米がバラバラになって苦しんでいるのはおかしい。
僕らは皆同じ一つの混血民族です。
偏狭な地域主義からの解放を目指して、ペルーそして一つの南米に乾杯。
彼が革命家として認知されるのはまだまだ後の事であるが、自身の中ではすでに決定的となっていた事だろう。
映画のエンドロール前にゲバラと旅を共にしたアルベルト・グラナード本人がGustavo Santaolalla(グスタボ・サンタオライヤ)のDe Ushuaia A La Quiacaに挟まれて登場するが、彼自身は50年以上前のアマゾンの奥地で聞いたゲバラの初演説とでも言えるスピーチをどのように感じたのであろうか。




