命を懸けたサポタージュ、ヒトラーの贋札

自己の保身のために悪に手を貸すか、それとも正義のために行動するか。
平和なときであれば保身のために悪に手を貸すことはもちろん非難されることだろうし、正義のために行動を起こすことは正しい行いだ。
しかしこれが自身の命がかかわっている場合にはまったく逆になる事もある。
特にそれが第二次世界大戦中のドイツで、強制収容所入っているユダヤ人の場合は正義などと言っていられない。
敵国の贋札を作り経済を混乱させるという戦争のなかで編み出された一つの作戦。
しかし、そんな非合法の作戦ではドイツが戦争に勝っても負けても自分たちの命は無いであろうと考えたとき、命を懸けたサポタージュが選択肢として浮かんだのだと思う。
2008年5月19日、蠍座
究極の決断を強いられる
しかし、強制収容所での作業がサポタージュと見破られた時の事を考えると、それを実行に移すには相当な覚悟が必要だ。
この戦争に勝とうが負けようがその先に死が待っているとしたら、ほんの少しでも現世にとどまりたいと思うのは当然だろう。
たが、そんな環境だからこそ命を懸けたぎりぎりのサポタージュを行い続けたとも言える。
映画後半のほとんどのシーンがこのサポタージュに関係した場面だ。
自らの死を覚悟し他の仲間が犠牲になる事もかまわずサポタージュを続ける事に固執するアドルフ・ブルガー。
彼とは反対にサポタージュにより期日までに満足な贋札が出来ないと銃殺される運命にある仲間をなんとか救おうとするサリーことサロモン・ソロヴィッチ。
ナチスには絶対に協力したくない、しかしチャンスがある限り生き延びたい。そんな中でついに期限が来たとき、サリー自ら作った贋札が認められ銃殺は無くなった。しかし、原版が完成した事によりついにサポタージュ行為そのものが無意味になってしまった。
贋札を完成させるという行為はサリーにとって仲間を救うための唯一の手段であった訳だが、これによりナチスへの非協力に終止符が打たれてしまった。ある意味究極の決断であった事だろう。
この映画の原作になったヒトラーの贋札 悪魔の工房の作者はサポタージュを続けるべきとしたアドルフ・ブルガー氏だ。実際に強制収容所でどのような事が起きていたのだろうか。原作は読んでいないが彼はこのときのサリーの決断をどのように思ったであろうか?





コメント (1)
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TBありがとうございました。
究極の決断の映画でもあり、正義、悪のその瀬戸際を
描いてもあり、人間の尊厳をも描いていますね。
僕も原作は読んでいないので、読んでみようかと考えています。