過去に作られたもう一つの未来
映画「2001年宇宙の旅」が公開されたのは人類がまだ月に到達していない1968年(ボビーことロバート・F・ケネディ暗殺の年)である。
今から約40年前であるが、この当時この映画は来るべき理想の未来の姿を美しく詩的に描かれていた。
未来は過去に学ぶ事により開かれる
21世紀の現在改めてこの「2001年宇宙の旅」が作られた頃を考えると、ベトナム戦争、東西冷戦のまっただ中で、宇宙もソ連とアメリカの競争の場となっており、宇宙ステーションで両陣営の科学者が偶然に出くわすなど言う場面は全く想像できない時代であった。
ただ、当時は2001年までまだ30年以上先のことであり、希望のある未来として見ることができたのではないだろうか。
今日、ソ連邦は倒壊し、かつての超大国ですら宇宙開発は単独の国では進められなくなっており、旧ソ連とアメリカや欧州、日本など各国の共同作業で宇宙開発が進められている。
ある意味未来を先取りした感があるが果たしてそうであろうか?
映画の公開後の1969年にアポロが月に着陸したとき、もしかしたら21世紀の世界は映画のようになるのではないか?と想像した人間は多くいたと思う。
しかし、21世紀の現在、恒久的な月基地などはもちろん無いし、大規模な宇宙ステーションもできていない。なぜ、1968年当時の夢が今日叶えられていないのであろうか?
その理由を考えるとき、人類というものは全く未発達で自己中心的生物であることをいやというほど思い知らされ、うんざりしてしまう。
ある意味、この「2001年宇宙の旅」という映画は、混沌とした時代だからこそ生まれたもう一つのパラレルワールドなのかもしれないとオヤジは思うのである。




